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なじんでいることと知っていること
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知っているつもりだけれど
家庭または家族のことを、英語ではファミリーといいます。ファミリアリティ、親密度の高い、なじみの連中が寄り合っている、ということから、そうよぶのでしょうか。たしかに家族はみんな、深くお互いになじんでいる人々です。そこで、深くなじんでいるということは、深くお互いに知り合っていることだ、と考えがちになるのですが、ちょっと待ってください。
なじんでいることと、知っていることとは、ほんとうは違います。たとえば、テレビやラジオは毎日みんなが見聞きしていて、たいへんなじみ深いものとなっていますが、その中の構造や機械については知らない人が多いのです。それで、故障すると、家ではどうしようもなくて、ラジオ屋へとんで行く、ということになります。
そんな、うちの子どもにかぎって、そんな悪いことをするわけはありません。あの子については、だれが何といったっても、ずっと見守ってきた母親の私が、いちばんよく知っているんです。とおっしゃるおかあさんをよぐ見かけます。しかし、これはまちがいです。ずっと見守って深くなじんでいるからといって、その子どもをよく知っているということはいえますまい。
これは何も子どもに対してだけではなく、夫や妻に対しても同じこと。それだからこそ「知らぬは亭主ばかりなり」とか、「女房のやくほど亭主もてもせず」とか、昔からいわれるようなことも起きてくるわけでしょう。なじんでいることと、知っていることとの違いをはっきり確かめて、もっとお互いに知り合おうとする努力をすることが、お互いが愛情をもつ、ということなのです。
お互いの中の未知なものを発見し合おうとする態度が、愛惰をもつこと。このことは、親と子の関係では、特に必要です。血がつながっていると、それだけでかたく信じ合っているのだ、と思い込みたがっているのが、家庭の姿だといえそうですが、家庭とはもっともっと複雑な性格をもったものだといえます。いろいろなモットーや、スローガンだけではよい家庭を築き上げてゆくことはむずかしいでしょう。
お互いをもっとよく知り合おう、という前向きの姿勢(つまりは愛情をもつこと)をもちつづけること。また、お互いに共通した目的をもつこと。これは、せっせとお金を貯めようということでも、楽しいわが家を新築しようということでもよいのですが、何か共通の目的をもって、その実現に努力してゆく気持です。加えて、みんなの毎日の共通の場を食卓に求めること。始めにお話ししたように、食事はみんなの健康の上からも、好みの上からも非常に重要8な役割をもっています。
この食卓をみんなの楽しい共通の広場とすることです。こうした努力を、みんな少しずつがまんし合ってつづけてゆくこと。それが「よい家庭」を築き上げてゆくことになるのではないでしょうか。
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